自販機部門 原田です。
♬ われは湖(うみ)の子 さすらいの~ ♬
ではじまるこの『琵琶湖周航の歌』を聞けば、
思い出すのは、小学生の頃のバス旅行です。
先生から渡される「旅のしおり」の歌集には、必ず校歌とこの歌が印刷されていました。
当時は、歌手の加藤登紀子さんがカバーされ、全国的なヒット曲となったため、
大人から子供まで、幅広い世代で、滋賀県民なら誰でも歌えたのではないでしょうか。
実は、京都大学の歌です
加藤登紀子さんがカバーされたのは、今から50年ほど前のことです。
『琵琶湖周航の歌』の誕生は、更に50年前の大正時代まで遡ります。
大正6年6月28日。当時の第三高等学校(現京都大学)のボート部慣例行事であった琵琶湖周航
の際、今津で歌われたのが誕生とされています。その後も京都大学の学生寮歌として長く歌われて
きました。
実は、替え歌でした
加藤登紀子さんの『琵琶湖周航の歌』のジャケットには、「作詞・作曲 小口太郎」とあります。
小口太郎とは当時三高の学生で、先の琵琶湖周航の際、今津でこの歌を仲間達に発表した人です。
現在、公式には「作詞 小口太郎」「原曲 吉田千秋」となっています。
実は、当時学生仲間で流行っていた「ひつじぐさ」のメロディーに乗せて、小口太郎の作った詩を
歌ったものでした。吉田千秋とは、この「ひつじぐさ」を作曲した人です。
実は、ここから通なお話し
作曲者の吉田千秋の特定に至るまで、この歌の誕生から70年以上もの歳月が流れています。
歌の全国的なヒット以降、この歌の研究者も誕生し、様々な調査や奇跡的な偶然によって、
今日に至っていますが、この話は長くなるので割愛させていただきます。
ところで、加藤登紀子さんの『琵琶湖周航の歌』は4番までなのですが、原曲は6番まであります。
実は、6番がおもしろい
6番の歌詞
♬ 西国十番 長命寺
汚れ(けがれ)の現世(うつしよ)遠く去りて
黄金の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心 ♬
実は、私もプチ研究者?
この6番の出だしが謎です。
長命寺は西国三十三所巡礼の三十一番札所です。
作詞の小口太郎は三高(現京大)で学び、後に東大に進んだ秀才。
歌詞の内容からも、歴史や和歌について博識の持ち主である事が推測できます。
当然、聖徳太子が建立したと伝わる日本最古級の寺「長命寺」が三十一番で
あることは知っていたはずです。
それが、なぜ「十番」なのか?
実は、数年前に、私も「この謎」に挑んでみました。
先人の研究者のレポートやあらゆる角度から参考になる文献を探しながら
色々と推理したのですが・・・・・
実は、永遠の謎
この謎については、様々な推測がされていますが、公式には
「三十一番では歌いにくい。十番はゴロが良かった。」・・・って💦
あくまでも、この回答も推測です。
今となっては、その真相を知る人はいません。
永遠の謎と言えるでしょう。
ちなみに、私の推測は
もともとは「巡礼」と歌っていたものが「十番」に変わってしまった。
どうでしょう?私の推測の方が、もっともらしい気がしますが・・・
実は、実話の通ネタ
このネタを知っていたからと言って、誰にも褒めてもらえそうにないネタをひとつ。
もちろん、現在でも京大ボート部では『琵琶湖周航の歌』が歌い継がれています。
しかし、発祥の地、京大ボート部にのみ伝わる部分があるのです。
それが、この6番の最後の歌詞 ♬ 語れ我が友 熱き心 ♬
この歌詞の部分のみ二度歌う・・・・らしい。
実は、資料館があります
もし、もしもですが、この話に興味を持った方に朗報です。
高島市に「琵琶湖周航の歌資料館」があります。
アクセスは、JR湖西線近江今津駅下車 徒歩3分となります。
また、今年は100周年なので、様々なイベントがあります。
特にこの時期は、ジャスト100年なので盛大に行われています。
どうぞ、インターネットでお調べください。