紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも
万葉集 第一巻(二十一)大海人皇子
自販機部門の原田です。
万葉集で、この歌が好きと言ってはや二ヶ月が経ちました。
このネタで引っ張るのも、本当に今回で最後にしたいと思っています。
「最後の復習」~クドいようですが~
この歌の好きな理由は、この歌の「美しさ」なんですが、その「美しさ」
を際立たせるものが結句の「我恋ひめやも」という反語表現です。この
反語は文法解釈すると「恋したりしようか、(いや恋したりしない)」と
なってしまうのですが、実に文法すぎて、文学っぽくありません。
ここは、言葉の反語ではなく、状況の反語として解釈すべきではないかと
私は思うのですが・・・・。
「恋をしてはイケナイ関係とわかっていても、恋せずにはいられない。」
って感じで解釈するほうが自然な気がします。
「恋」とは、そういうものです。・・・・よね?
ところで、この「めやも」という反語について思いめぐらせていた頃、
感動的な作品に出会いました。
「最後のジブリ」~宮崎駿的万葉集~
それは、宮崎駿監督の最後のジブリ映画となった「風立ちぬ」です。
この映画のキャッチコピーは「生きねば。」ポスターにも力強い文字で
書かれています。宮崎作品の一貫したテーマが「生きる」という事であった
のもキャッチコピーとなった理由ではありますが、「生きねば。」には、
もう少し深い理由があります。そのヒントが、ポスターに書き添えられた
「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。」というメッセージです。
映画「風立ちぬ」は、宮崎駿の漫画「風立ちぬ」の映画化ですが、
漫画「風立ちぬ」は、実在した堀越二郎の「生涯」と小説家堀辰雄の
小説『風立ちぬ』をモデルとして書かれた作品です。
この小説『風立ちぬ』の本文が始まる前の冒頭に
「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」
とフランス語で書かれています。これは、フランスの作家ポール・ヴァレリーの
長~い詩『海辺の墓地』の一節です。堀辰雄は本文中でこの詩句を主人公に
「風立ちぬ、いざ生きめやも」と日本語訳して語らせています。詩句を直訳すれば、
「風が起きた、生きることを試みなければならない」といった感じになります。
それを「生きめやも」とは。・・・・おおおお!反語だ!!
小説が発表されると、「誤訳である」との指摘が学会を中心に飛び交います。
私の尊敬する言語学者大野晋先生も「誤訳」を指摘されています。
どれだけ著名な学者でも「文法」には固執するようです。
古典文学も現代文学もそうですが、そこに書かれた文字を読むとは、
文法を分解することではないはずです。作者が「言葉」を「文字」とし
読者は「文字」を「言葉」にすることではないかと思います。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」・・・・実に美しい一句です。
風の吹き起こる様を「風立ちぬ」と表現しているのも素敵です。
「さあ、生きてゆこう!」と単純に表現するのではなく、
「めやも」という反語表現によって、「実は生きる事さえ困難な
状況にはあるけれど」という事情を三文字に含ませて、シンプルで
美しい一句に仕上げてあります。
「生きねば。」
そして、宮崎駿監督は、「ねば。」という言葉を使い「生きる」事を
力強いメッセージとして「生きねば。」と表現しています。
この一言を見た私は「宮崎駿。やっぱ、すごいな!」と感動して
しまいました。
私は日頃、映画を観に映画館へとは行かないのですが、この時ばかりは
つい行ってしまいました。
ところで、チケットライフでは映画券も取り扱っております。
スタッフブログのこんな記事もご参考下さい。
「最後のオチ」~チケットライフ近江八幡店~
突然、話はもどりますが私の紹介した歌の舞台となったのが、
現在の東近江市です。正確な位置の記録はありませんが、「万葉の森船岡山」
として公園整備されています。
アクセスは近江鉄道万葉あかね線「市辺(いちのべ)駅」徒歩五分となります。
残念ながら、チケットライフ近江八幡店では、市辺駅までの切符を通常販売
いたしておりませんが、近江鉄道時刻表の冊子へ広告を掲載いたしております。
この時刻表、なかなかのスグレモノなので、近江鉄道ご利用の方はぜひお手持ち
されることをおすすめいたします。