この前、某有名コーヒーチェーン店にいたところ、面白い会話を耳にした。
女氏А:「昨日初めて○○○君とご飯に行ったんやけど・・・」
女氏B:「ふんふん」
女氏A:「食事代割勘って、まぁ、わかるで。お金渡すやん?25円足りひんって言われてさ・・・ドン引きしたわ」
女氏B:「うわぁマジありえへんな・・・ないわぁ・・・」
私は思わず、飲んでいたものを噴出しそうになった。
丁年よ、女は星の数ほどいると思っているその頭をどうにかしたほうがいい。
夜空に幾多と輝く星に手は届いたことがあるか?
ないだろう。
そのチャンスをまんまと手放してしまったな・・・
この割勘騒動、好きな思いがスッと冷めてしまう男性の些細な行動だと、
世の恋多き女性たちは口を揃えて言うだろう。
『ケチな男性』は恋愛対象から真っ先に消されてしまうので注意しよう。
さて、所詮は他人事である色恋事はこの辺にして、今日は『倹約とケチ』の違いについての談話だ。
まず、この二つの単語の違いだが簡単である。
”カネの使い方が有効であるか、そうでないか”である。
冒頭での会話で、男性は「カネ」を出すのを渋り、勝手に「ケチ」というレッテルを貼られ、
女性にマイナスのイメージをプレゼントしている。
しかし、『倹約とケチ』を見分けるのは実は非常に難しい。
例えば、金券ショップで買い物する事は『ケチか倹約』なのか。
それはニュートラルな立場から観るのだから、勿論、私も答えを出せるはずがない。
では、どこで、『倹約とケチ』の境界線が引かれるのか。
やはり「カネ」を使うときの「メリハリ」ということだ。
上記の本を読んでみたのだが、同じようなことが書かれていた。
「カネ」を持てば幸せになれる。私がいつもブログで語る理想。
しかし一歩間違えるとそれは欲の塊としか見られない。
どうしても自分を中心に(自己中心的にというわけではなく)物事を考えてしまう日本人は、
どちらかというと無能で、共通な価値観(ブログアーカイブ参照)である
金を中心に考える=金に汚い人が最終的に世の中を取りまとめる傾向にある。
分かり易い例をあげると、とても金に汚いという周知の人物が幹事の宴会は、
浮いた利益をその人が得ているのないかと疑ってしまうという、心の狭い思考を持ち合わせているということだ。
『倹約とケチ』の違いは、『人のため×自分のため』『自己満足×いざというときに備える』
というように惜しむ目的によって分かれる。
また、出すべきところで出せるかどうかということも重要だ。
『倹約家』は無駄な出費はせずともここぞという場面や特別な時には生きた「カネ」を使える人。
逆に『ケチ』は大事な場面でケチるので結果的になにも得ずに残念な人。
「カネ」をどう使うかによって、人間力も見えてくるということか・・・
嫌われるケチはジャイアンと一緒だ。
世間から『ケチ』と揶揄され蛇蜴のごとく嫌われる人と、倹約家として尊敬される人がいるが、当然、誰もが後者になりたい。
金券を購入して節約しているのならば尚更のことではないだろうか。
最後に面白いことを一つ。
倹約家は金持ちは貧乏人扱いをすると自尊心で「カネ」を使う。
浪費家な貧乏人は金持ち扱いすると虚栄心でさらに「カネ」を使う。
己の意思とファンクションに品格を持たせれば『倹約家』にカテゴライズされることなど造作ない。
草津本店:伊東