今一度日本を洗濯致し候

2016年8月吉日「真田丸」ゆかりの地巡りをしてきた。

真田一族発祥の地として名を馳せる上田市、この地に2日間の滞在を経て、

その土地に生きる人々の真田への「愛」を看取した事は記憶に新しい。

 

さて、どの地においても、私が史跡を遊歩する時に黙考することといえば、

「なぜ、こんなにも歴史が好きなのか」

ということである。

 

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(滋賀県出身の智将:石田三成1560~1600)

 

昔、新聞で読んだ面白い記事があった。

”先進国のなかで、自国の歴史に一番興味を持たないのは日本人”

歴女である私からしてみれば何とも信じられない事実だが、

他国の諸人から我が国を見ると恐らくそうなのであろう・・・

 

今自分が存在しているのは、まぎれもなく、先人の努力が有り、

この日本という国を形成してきた訳を考えると、皆、母国の歴史に執着するのは当然ではないのか・・・?

 

よく「歴史なんて学んでも何の役にも立たない」などと揶揄されることがある。

確かにその通りだ。

過去を知って何になるんだ、今の状況が何か変わるのか。

そんなことはこれっぽっちも起こらない。

さらに言ってしまえば、稚拙な考えだが

「真偽のハッキリしない過去を好き勝手に妄想して楽しんでいるだけだろ」

と、思っている人も少なくないはず。

まぁ、その夢想については否めないのは事実である(笑)

 

しかしここで発想を逆転して欲しい。

野放図から、歴史上の偉人達の考え方を学ぶことができる。

特に時代を動かしたヒトというのは、

その時代ではあまりにも非常識と思われるような思考をし、行動をして時代をひっくり返してきている。

「自分がこの時代に生きていたなら、どのように物事を捉えて、どのように行動しただろうか」

こんなことを、手前勝手に思案することは楽しい事であり、

現代に生きる自分自身の日常において、「生き様」というのは大変参考になっている気がしている。

 

こんな名言をご存知だろうか。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

歴史に学ぶというのは、他者の経験者に学ぶ。という意味が隠されているのだが、

まさにこの言葉は、歴史に興味が無い者たちへ語り掛けたい。

偉人達の全てが正しいとは言わないが、少しでも接してみると、人間の人格形成、

思考、行動について良い影響を与えてくれる、と推奨させていただこうではないか。

 

 

私には固い信念がある。

 

歴史という無形のモノは学問であると同時に文化なのではないか。

音楽だってそうだ。

文化を慈しむことで、人は豊かになれる。

私にとって歴史とは紛れもない人文である。

 

 

歴史のロマンに触れることに幸福を感じる私は実に果報者だ。

 

 

 

草津店:伊東