11月13日、世界に衝撃が走った。
フランス・パリで130名近くもの死者を出すテロが起こった。
「イスラム国」から犯行声明が出され、
直後にフランス空軍による報復爆撃が行われたというニュースは記憶に新しい。
現代の難問である「テロ」を理解するには、高校レベルの世界史をおさらいするとよく見えてくるらしい。
第一次世界大戦を発端とする歴史の戦いが作り出してしまった
ヨーロッパ移民社会の複雑さと暗部が見え隠れしている。
つい最近、テレビで現在のパリが映し出されていたがあのエッフェル塔の広場に全く人が居なかった。
コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、モンマルトルの丘が全く別の風景を漂わせている。
私がパリに滞在していた頃の面影は無い。
その時に垣間見た心温まるパリの一コマ劇場を思い出す。
パリの街からは様々な音楽が聞こえてくる。アパルトマンの窓からピアノ音、
バーからエレクトロミュージック、路上からアコーディオン、地下鉄ではギターの語り弾き、
週末にはホームパーティーを行う人も多く、夜中まで音楽が響き渡るのだ。
ルームメイトの日本人女性は時々路上で演奏をしていた。
セーヌ川沿いの通りや橋でシャンソンなどを演奏しながら小銭を稼ぐ。
当時、路上にはジプシー、物売り、ホームレスなどもいたが、
何度も同じ場所で演奏していると彼らとも顔なじみになり、彼女は挨拶を交わすまでになったそうだ。
たまに警察が来ては「ここで演奏してはいけないよ」と注意されることもしばしばあるという。
かと思えば、ある時、一人の男性が近づいてきたので注意されるかと警戒したが、
「ぜひうちのレストランで演奏してくれ」
と言われ、主人のお店で演奏をしてビールをご馳走になったということも。
パリは音楽に対して懐の広さを感じる街だった。
今、パリは、深い悲しみの底にあるが、
「芸術の都」「華の都」には愚考にも屈さないパリジャン達がいる。
パリの空の下、暖かいメロディが聞こえるのも時間の問題だろう。
Plus le visage est sérieux, plus le sourire est beau.
―顔が真剣であればあるほど、その微笑は美しい―
卑劣極まりないテロによって、奪われた命に対しては、哀悼の念を強くするばかりである。
草津本店:伊東