こんにちは自販機部門のUMA昇(七郎次)です。
一月も残り一週間に早いですね、日々高速で過ぎる気が、歳のせいかも。
正月と言う事もあり定期観光バス初乗りで、日本最古の「都七福神まいり」に行ってきました。
二年前にも、「泉涌寺七福神巡り」をしました。この時は、泉涌寺山内の塔頭をめぐる行事で即成院から
番外二ヵ所を含め九ヵ所を、縁起物の絵札を福笹につけて一年の福を授かるよう順拝してきました。
この時期は全国各地で七福神巡りがあるようで、ご当地草津では、「草津七福神めぐり」全長5kmの
スタンプラリーがありました。(21日終了)
(小汐井神社、養専寺、伊砂砂神社、神宮寺、道灌蔵、立木神社、真願寺)
定期観光バスは新春初詣コースで31日まで毎日運行されています。(弁当付き、御宝印個人負担)
当日(11日)雲一つ無い快晴で京都タワーが映えています。
ネット申し込み予約完了用紙を窓口で座席指定乗車券と交換します。
烏丸口のりば(9時50分発)
大型バスとマイクロ、二台で出発マイクロバス最後部に乗車、女性18人、男性4人、計22人満席。
初めての参加が半数程であと2~3回の人と、最高が8回目という熟女2人。(元気な証拠)
七福神だけに7回まいりされると、よりご利益があるとのことで。
特に新春に巡拝すると、七難即滅、七福即生極まりなしといわれ、功徳が大きいとされています。
1、[弁財天] 六波羅蜜寺 (東山区松原通大和大路)
● 七福神で唯一の女神。水を神格化したものであり、言語や音楽の神として尊信されている。また、金運
・財運の神として福徳自在のご利益とされている。
2.[ゑびす神] ゑびす神社 (東山区大和大路)
● 商売繁盛・旅行安全・豊漁等の守護神で庶民救済の神といわれている。知恵を働かせ体に汗して労働に
従事していれば必ずこのゑびす神が福財を授けてくれます。
3.[大黒天] 松ヶ崎大黒天 (左京区松ヶ崎東町)
● 打ち出の小槌を持ち笑みを浮かべる姿から福財の神ともいわれ、もともとは軍神でありました。
日本では福徳を重きにみて、商売繁盛の守り神とされている。
4.[福禄寿神] 赤山禅院 (左京区修学院開根坊町)
● 南極星の精・泰山府君を人格化した神で、幸福・高禄・長寿の三徳をあたえられたとされ、商売繁盛・
延寿・健康・除災を祈願します。
5.[寿老神] 革堂 (中京区寺町通竹屋町)
● 中国の老子が天に昇ってなったという仙人の姿。三千年の長寿を保つ玄鹿を従え、人々の難を払う団扇
を持っていることから、福財・子宝・諸病平癒・長寿の功徳ありといわれている。
6.[毘沙門天] 東寺 (南区九条町)
● 北方の守護神、仏教を守護する神であり、毘沙門天を信仰すると十種の福を得るとされている。
菅原道真や小野道風も信仰したといわれている。
7.[布袋尊] 萬福寺 (宇治市五ヵ庄三番割)
● 中国・唐の時代に実在した僧契此がルーツとされ、中国では弥勅菩薩の化現として信仰されている。
幸福をもたらす、七福神の神々の力です。
七福神は結婚祝いの頂き物(〇十年前)
付録(調べ)
白蛇を従えた弁財天、銭を清める銭洗弁天
鎌倉時代の宇賀弁才天信仰には、密教からくる呪術的性格が強くみられた。秘儀を行って宇賀弁才天を祭
れば、思いのままに福財を得られるといわれたのだ。このような宇賀弁才天の呪的要素は、かつて「三弁
才天」と言われた厳島、竹生島、江の島をはじめとする弁財天がらみの神社に広まっていた。
しかし明治時代はじめの神仏分離によって、弁財天を祭る神社の密教的性格は、一掃された。
鎌倉の銭洗弁天は、もとは湧き水の水源で水を授けてくれる土地の守り神を祭る神社であったと考えられ
る。そこに宇賀神信仰の要素が伝わり、さらに土地の神が神仏習合で弁財天になっていった。
古くは銭洗弁天のもとになった土地の神の神社の信者が、そこの境内の洞窟に出るきれいな湧き水で体を
清める祓いを行っていたのであろう。そして財運の神である弁財天が祭られるようになったのちに、銅銭
を洗う習俗が作られたとみられる。しかしそれは本来は金儲けのために犯したさまざまな罪や機れを清め
るもので、銭を何倍にもふやす呪術ではなかった。
日本三大弁才天
● 宝厳寺・竹生島神社 (滋賀県)
● 江島神社 (神奈川県 江の島)
● 厳島神社 (広島県 厳島)
一年に一度6月10日は竹生島において、「三社弁才天祭」が行われ、弁財天の分霊を迎えて祭りを行う
つまり日本三大弁才天の全てを一度に参拝することができる。
福の神様を七つ集めろ
七福を授ける神、仏教が七福とする幸運をもたらす七柱の神が選ばれて七福神になったとする説明もある
室町時代に密教僧や修験者(山伏)が祈りの中で用いた、「七難即滅、七福即生(七つの難を消して七つ
の福を授けたまえ)という句がある。」この句にもとずいて、七福神がつくられたというのである。
古代の日本の知識人も中国の知識人も、「七」という数字を好んだ。「七」は完結した数字で、物事は七
日、七月、七年を単位に循環するともいわれた。
現在の暦に用いられる日曜から土曜までの七曜は、古代バビロニア(現在のイラクあたりにあった国)の
天文学で用いられたものである。これが西洋に広まり、インド経由で中国に入ってきた。天台宗や真言宗
の学問僧が行った占術にも、七曜が用いられている。
日本でも主だったものを七つ集めて、「七××」と呼んだ例が多くみられる。 東大寺、興福寺などから
成る南都七大寺や、東海道、中山道などの七道はその例である。
(余談 前職M社経営理念、七精神を実践中。)
昼食は東寺洛南会館で七福神弁当です。
なで大黒
今年も良いことがありますよう、福を授かりに7時間のバスツアーでした。