2018年のブログをどうするかと考えていると、
そういえば今年の目標に博物館、美術館巡りをしよう。というのがあった。
ビッグタイトルになりがちだと思うが、一つの感想だと思って流してくれると嬉しい。
と、いいつつ、今年一発目「ボストン展」にまだ足を運べてないので、去年の話題を。
2017年3月8日から約3ヶ月間開催されていた「ミュシャ展」
願い続けていれば夢は必ず叶う。 そんなお伽話のようなことが現実のものとなったタイトル。
アルフォンス・ミュシャの傑作中の傑作「スラヴ叙事詩」全20作品がチェコ、プラハより
初来日を果たすというので、国立新美術館へ向かった。
全20枚から成る《スラヴ叙事詩》は壁画ではなくテンペラ技法でカンヴァスに描かれている。
20枚それぞれのサイズがまちまちなのだが、第一次世界大戦の影響が大きかったらしい。
これまで「ミュシャ展」は数多く開催され、展覧会のたびに大きな話題となり、大勢の人にミュシャ芸術の素晴らしさ、美しさを伝えてきた。
ところが、ミュシャの傑作中の傑作である《スラブ叙事詩》はこれまで一度も日本にやって来たことがない。
理由は明確で作品が大き過ぎるからだ。
ミュシャといえば、ポスターや装飾的な美を追求した側面だけがクローズアップされがちだが、
実は祖国(チェコ)に対する思い入れが非常に強い人で、
パリで大成功をおさめたにも関わらず、チェコへ戻り祖国のために後半生を捧げている。
ナショナル・アイデンティティの塊のような作品がこの「スラブ叙事詩」
スラブ民族の歴史を知らずとも、ミュシャの祖国を愛する思いはいやというほど画から伝わってくる。
伊藤若冲が「動植綵絵」を仏のために全身全霊を込めて描いたのと同様に、
「スラブ叙事詩」がミュシャがある意味、命を賭して描き上げた大パノラマである。
我々はどうしても目先の利益やお金に左右され行動しがちだが、
若冲にせよミュシャの「スラブ叙事詩」にせよそうした段階から幾つも上のステージで無心に描かれた作品だからこそ、心を強く打つものがある。
2018年、専門学、芸術に精通しているわけではないが、単に好奇心に任せて楽しみたい。
近江八幡店:伊東