時は今 天が下知る 五月かな
天正10年6月2日未明、明智光秀率いる織田家の軍勢は、中国の毛利を攻めずに京へと向かった。
歴史上名高い「本能寺の変」である。
この時、映画やドラマでは「敵(信長)は本能寺にあり!」と光秀が叫び「おーっ」と
いう感じで、一糸乱れぬ行動をする。
この時の光秀軍は約13,000人。
光秀軍と言っても織田家の家来。
天下統一を目前にした主人に対して、13,000の兵が光秀と共に謀反を起こすだろうか?
信長へ知らせに行く者が何人もいるはず。
信長は情報を大切にする人物だから知らせに行けば恩賞にありつけるはず、
しかし一人もいない。
それは、皆様ご承知のとおり、
信長を討つというのは、脚本家が書いたシナリオであって
「敵」は信長ではなく、どこかの誰かだったからでしょう。
敵が信長という事を知っていた家臣は数人。
この後、光秀の行動は何をやってもうまくいかなくなります。
やろうとした事が甘かったのでしょうか?
逆賊に手を貸す武将はいないでしょう。
光秀が優秀な働きが出来たのは、天才的な主人の指示があったからなのでは?
天才信長と比べれば光秀はただの人
京都山崎天王山で光秀はこうつぶやいたのではないでしょうか…
「上様(信長)、次は何を致しましょうか?」